第一章 人類史上最悪の一日は最悪だった

 

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話を数十分前に戻す。

「…っててて…」
 やっとのことで起き上がった翔と呼ばれた若者は、金髪の若者の方を見ていった。
「だいじょぶか?」
「…あうあ…ああ…」
 金髪の若者も何とか立ち上がり、足元の3000円の方を一瞥した。
 怒りがこみ上げてくる。
「ふざけやがって!」
 金髪の若者は3000円を踏みつけた。野口英世の顔がゆがんだ。
 
ふと彼らが通りを見ると、石原が悠然と歩いていくのが見えた。
「あいつまだあんなところにいるぜ」
「後ろから絞めちまおうか?」
「いや、それより俺ら被害者なんだから警察に届けりゃよくね?」
「翔ちゃん頭良いなマジで!」

 こうして彼らは石原の後をつけつつ、携帯電話で警察に連絡してあることないこと
(とはいうものの実際痛い目にはあっていたわけだが)つげて、警官を呼び出し、
店に入ったのを確認してから警官と合流して待ち構えていた、というわけだ。

 さすがに1対4では勝ち目が薄いし、いくらニート暮らし長いとはいえ、国家権力の
走狗の方々と喧嘩して鉛弾ご馳走
になるほどぐれてはいない。
 そんなわけで石原はしぶしぶながら任意同行受けたと、こういうことだった。

 秋葉原、万世橋署。
 任意同行で署にやってきた石原は、ありのままを語ろうとしたがどうしても納得して
もらえないことに苛立ちを感じ始めていた。
「だからアレは事故だっていってるじゃないですか」
 少々いらだった口調で石原は警官にいう。
 取調べの机に電気スタンドがないんだな、とか思うくらいの余裕が最初はあったの
だが、だんだんと警官たちが自分の発言に不信感を持っていることに気がつき始めた。
 電気スタンドがこの机に取り付けられるのも時間の問題かもしれない

「どこをどうしたら事故になるんですか!」
 しかし逆に警官の方も苛立ちを隠せなくなり始めていた。いったいどこの世界に
偶然で巴投げと急所同時攻撃を実現できる人間がいるんだと思うのは当然ではある。
「石原さん、あなた、さすがにそういういいかたはまずいと思うんですよ。彼ら
だってそりゃ悪いのは確かなんですが、だからといって偶然だと言い張るってのは
ちょっと卑怯なんじゃないですか?」
 若干年上の警官が物腰は静かに、しかし、厳しい口調で石原を攻める。

 何より悪いのは実際彼らが(軽傷とはいえ)怪我を負っていたわけで、たとえそれ
がヲタク狩りの返り討ちであっても怪我をしたのは二人で、石原は無傷でぴんぴんと
してる点である。おまけにその後しゃあしゃあと高価な薄い本などのんびり買われた
日には、そりゃ二人の方からしたら(自業自得の部分はあるにせよ)むかつくことは
間違いない。ただ逆に石原からしたら、なんでヲタク狩りにあった俺が警官に問い
詰められているのかという感情が出てくるのは当たり前だ。

 しかしそんな石原の態度が警官に与える影響は決していいものではない。
 人ぼこぼこにした上にその後でのうのうと買い物。人としての感情が一部壊れてる
んじゃないかと思われても仕方がない。いや、実際壊れてるのかもしれないが
 いずれにしろ、お互いの不信は高まる一方であった。
 
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 不信というのは別に感染するわけでもあるまいが。

 NASAでは発表を誰が行うかについて、実に醜い争いが始まっていた。
 普段ならここぞとばかりに率先してやるもんだが、なにせ、今年のさまざまなバッド
ニュースの中でもスケールが違う代物だ。
 正直やりたくない。やりたくないけど、やらなきゃいけない。
 仕事ってのはそんなものであるときがしばしばある。
 各部門のスタッフが集まって会議を始めていたのだが、これまで無いほどに決まら
ないのだった。広い部屋の中のホワイトボードには汚い字で"METEO STRIKE!!"
文字が殴り書きされていた。ただ刻々と過ぎる時間。

「ここはやっぱりスペースガードの方々に発表してもらうべきじゃないですか?」
「いや、それだと何のためにNASAに予算突っ込んでるんだって政府があとで何言うか
わかったもんじゃないだろ」
「で、これ外れてたらどうするんだよ!」
「当たったらみんな死ぬんだけど」
「お前らがたがたうるさいよ!いいからとっととどうするか決めろ!」
 宇宙運用局、科学局、探査システム局のいずれもとにかくやりたくない、でも誰か
やれよで醜い押し付け合いをおっぱじめていたのだ。確かに彼らは地球最高の宇宙
探査スタッフではあるのだが、別に人身掌握のプロでもなんでもない。
 会議は踊る。

 そんなとき、マクローレンという科学局の若いスタッフがとんでもないことを言い
出したのだった。
「もうさ、ビンゴで決めようぜ」
「ビンゴ?」
 エリック・マクマトンは普段のポーカーフェイスを崩してしまった。
「そうさ、ビンゴで一等当たった奴が発表すりゃいいんだ」
 ざわめく一同。しかし、いずれにしろ誰かがやらなきゃいけないのは確かだ…
そういう手段も悪くは無いかもしれないなどとみんなが思い始めていたとき、科学局
広報部部長、ミハイル・ウィリアムスはマクローレンに対して死刑宣告を下した。
「やってもいいけど、当たりの商品はお前の来月の給料から引いとくな」
「え?」
 素っ頓狂な声を上げたマクローレンを尻目に、スタッフたちは商品とビンゴの準備と
をはじめてようとしていた。さすが宇宙開発のプロたちである。やるべきミッションが
決まってからの動きは早い。
「じゃ、そういうことで」
「なにが、『じゃ、そういうことで』なんだああぁぁ!」
 みんな忘れていたわけではないだろうが、一瞬だけこのやりとりで空気が軽くなった
のも確かだ。どんな悲惨な状況でもユーモア精神は忘れてはいけない。
…この日のビンゴ大会については後に書かれたNASA60年史には一切記述されていない
 
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 UNNのキャスター、アレック・ハリスはいつものようにニューススタジオで、8割の
うっとうしいニュースと1割のすばらしいニュース、そして1割のおふざけからなる
ニュース原稿に目を通していた。
 ニュースの時間にあわせてNASAが重大発表を行うなんて記事もその中にあったが、
NASAの重大発表なんてスペースシャトルの墜落やアポロ宇宙船の事故以外一般の
人間にとってどうでもいい代物だった。その中でも特にどうでもいい代物は「火星に
水があったことを発見」あたりだろうか。あれでどこぞの島国の物好きどもが眠い目
をこすりながら起きていた
らしい。まったく笑わせる話だと思う。

「おーい、このNASAの重大発表って何だ?」
 アレックはまわりのディレクターに聞いてみた。
 ディレクターの腹が出っ張ったスティーブ・マクマトフは一言だけ言った。
「小惑星に関するものだそうです」
「小惑星?まさか地球にぶつかって人類がおじゃん、とかそんなのか?」
 アレックはそういった後、周りを見ていった。
「おいおいいつから今日はエイプリルフールになったんだ?サンクスギビングデーは
エイプリルフールじゃないんだぞ?ったく何考えてんだかNASAの偉い学者先生は」
  一同、軽く笑った。
「でも」
「どしたー若造」
 ステーィブは部下のジム・アレンが神妙な顔をしているのに気づいた。
「そこそこの大きさの小惑星は100年に一度くらいは地球に衝突するって言いますよ。
砂漠や海に落ちたかなり小さな小惑星なんか、ほとんど気にされませんが実際には
かなりの確率で落ちてるんです」
「おいおい」
 スティーブはジムの方を向いて、厳しい顔でこういった。
「そりゃお前の言うことは間違っちゃいないかもしれんが、地球規模の隕石衝突
なんかでない小さな衝突で、しかも海のど真ん中に落ちたところで俺らにはほとんど
関係ないだろ」
「そりゃそうかも知れませんけど」
「じゃあ、この話はNASAの発表が終わってからしよう、いいな」
 ジムは不満そうではあったが、ひとまず納得したようだった。
 そんなやり取りを見ていたアレックは、ジムの方を向いてこういった。
「ま、そういうことだ。発表の内容によってその辺決めりゃいい。一応隕石関連の
VTR出しとけばいいんじゃないか?そんなに人は裂けないが…」
 体よく厄介払いされた気もしないでもないが、いってることは間違ってもいないので
ジムはVTR資料室の方に向かうことにした。実際問題、そういう作業の何割かはまったく
無駄になってしまうのだけれども、気晴らしにはなるというものだ。

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 こちらには気晴らしの出来ない男たちがいた。
 戦線硬直。お互い主張をまったく譲らない。
「あんたねぇ」
 若い警官はもう敬語を使う気力もなくなっていた。無理も無い、取調べが始まって
3時間にもなるのだ。刑事事件の取調べの場合もっと長い時間行うのは当たり前では
あるのだが、こんな傷害になるかならないかの取調べでこんなに時間取られるのは
苦痛以外の何者でもあるまい。

「いいかげんにしとけよ。そんな偶然がありえると思うか?自分でも」
「いい加減にしてほしいのそっちの方ですよ」
「何だと?」
「まぁまぁ」
 口では静止しているが年上の警官も若干いらだっているのは確かだった。
 しかし石原もやっぱり譲らない。挙句とうとうこんなことを言い出した。
「大体、こんな風体の奴が、あんな若いお兄さんたちをぼこぼこにした、そっちの方が
信じられるんですか?」
「え?」
「自分で言うのもなんだけど無職ひきヲタニートの俺が、そんな強かったら今頃なんか
違う仕事してますよきっと」

「…うーん」
「ちょっと三浦さん、信じちゃってどうするんですか」
「でもなぁ…確かに、この、石原さん?そんな人には見えないよなぁ…」
 年かさの警官の方、三浦はだんだんやる気がなくなってきていた。大体今日は妻の
誕生日なのだ。愛妻家である彼にとっては、仕事柄遅くなりがちで迷惑をかけている
ことが多いので、そのくらいの日は祝ってあげたいと思っていた。かといってさすがに
有給とるのも気が引ける。基本的にまじめでいい人なのだ。
 三浦はちらちら時計を見ている。
「三浦さん!」
「いや、わかってはいるよ。きちんと真相突き止めなきゃいけないのは確かだ」
「だったらきっちりしゃべってもらって」
「うん、そうだな」
「そうだ、とっととしゃべればすべて型がつく。大体初犯なんだし、示談で済むなら
済ましてしまったほうが早いぞ」
 若い警官は石原の方を軽く侮蔑するような表情で向きながらこう言い放った。
「で、やってないことやったと認めろと」
 石原も睨み返す。
「やってるじゃないか!」
「だからアレは事故だと何度言えば」
「事故が2度続く確率がどんだけあるんだよ!!」
「…わかった、こうしよう」
 三浦が石原の方を向き直った。一瞬、静寂が訪れる。時計の秒針の音が聞こえる。
 
事故にしよう
「ええええ?」
「ただ、やったことはやったこと、過失傷害にあたるんじゃないか?別に俺そっちの
専門ってわけじゃないけど。」
「過失傷害だと、どうなるんですか?」
 若干不安そうに石原が三浦の方を見る。
「ぶっちゃけ、告訴されなきゃ問題になんないと思う」
「ちょっと三浦さん、それでいいんですか!」
「いやだって、彼にも非があるかもしれないけど相手も悪いんだし、さらに多分に
偶然の要素も絡んでるだろ?だとしたらおそらくこれが一番なんじゃないか?」
…いいのかよこんな犯罪者野に放って…
「ん?なんか言ったか?」
「いいえ…」
「おまえ、一応石原さんに謝っとけよ。明らかに言い過ぎの部分あったし」
…なんでこんなキモヲタなんぞに…
「なんか言ったか?」
「いえ、すいませんでした」
「…」

 そんなわけで石原はやっとのことで解放された。時計はかなり進んでいた。
 気がつけばもう9時だった…。気分は最悪だったが仕方が無い。
「やれやれ?ん?」
 後ろからすごい勢いでかけぬける男がいた。三浦だった。彼は石原の方を見もせず
駅の方に全力疾走していた。
「…なんか事件でもあったのかな?」
 小さくなってゆく三浦を見ながら、石原も飯食った後帰ってゲームでもしようと思っていた。

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  NASA広報からの発表が終わった瞬間、三大ネットワークと米国に衝撃が走った。
「ジム!!」
 スティーブたちはジムが持ってきていたVTRの編成を行っていた。
「くそ、最悪じゃねぇか…なんてった?あの小惑星、2009VTなんたらだったか、
 とにかくVの編成急げ…本気で最悪だ…」
 過去に作られていた映画やドキュメンタリーの隕石衝突CG、天文学者の説明、
とにかく多数の情報を伝えねばならないのと視聴率をあげるのと両方やらないと
いけないのがつらいところだ。頭のあまりよろしくない連中でもわかるような解説を
加えないといけないのも確かだったが、でも今回のこの事態、ひとつだけいえるのは
「当たったら大惨事」
 というきわめてわかりやすい話だった。小学生にでもわかる話が出来そうだ。
「あるだけ持ってきてます、他にもあたってみますが」
「いやもういい、とにかくかつて無い事態だってコトだけはしっかり伝えてくれ」

 そんなやり取りを見ながら、アレックはどんな顔でニュースを伝えればいいか一瞬
考え込んでしまった。下手すりゃ全人類ほとんどさよならなんだから。
 そんな時アレックは気づいてしまった。
「おい!!!テロップ間違ってる!!

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 インターネット匿名掲示板最大サイト、2ちゃんねる。
 そこのニュースを扱う掲示板にこんなスレッドがつくられた。
「2012年12月にNASAが隕石に衝突」
 正直ある意味書き間違いなのだが、「ふざけんな!」「立て直せ!」などの罵声が
一切書き込まれなかった。なぜならまったく同じ文面が書かれているCNNのニュース
速報のキャプチャー画面がそこにあったからだ。
「おいおいネタじゃないのかよ」
「UNN書き間違えてるぞ!」
「あいつらもパニくってるなぁ」
「ウケたw」
「意味わかんねぇw」
 全 米 が 噴 い た 

 …これが日本で一番早く伝わった隕石衝突ニュースだったのは、なんとも皮肉だ。

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 全米が噴いてたわけではないが、実際に噴いてた人は数名いた。
 グレゴリー・ボーマン氏(56)職業 農業。
 彼は朝食のシリアルを食ってるときUNNを見ていたのだが、そのテロップが出た瞬間
思いっきりシリアルをモニターに噴き掛けてしまったのだった。

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 晩飯を食いながら石原はニュース画面を見ていた。
 石原にはいろいろあったがその日のニュースには特に目立ったニュースは無かった。
 なにしろアザラシの赤ちゃんがうまれたことをニュースにしてるくらいだから。
 かわいいとは思うんだが、別にニュースにする必要は無いだろうと思う。
 この時間には各局のスタッフとも、まだ隕石衝突を知らなかったのだろうか、隕石の
いの字もNASAの名前も一言も出てこない。
 騒いでるのは掲示板住民だけだったというのはまったく皮肉なものである。
 多くの一般人も知らないし、当然石原もまだ知らない。誰も知らない。
「ごちそうさん」
「はいどうも」
 安食堂を後に石原は家路につくことにした。…この後のことなどまったく予想
できてはいなかっただろう。
 不幸は、加速する
 
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